MENU

私が歩いた世界を振り返ってみた 10代~20代編

こんにちは。蒔恵(まきえ)です。

私は海外旅行が大好きで、昔はいろんな場所を訪れていた気がします。

今回はどこに行って何をしていたのかを

じっくりと思い出してみたいと思います。

目次

高校時代に初海外

当時テレビで放送されていたシャーロックホームズの虜になった私は

いつかホームズの過ごしたロンドンを訪れたい!!と願うようになりました。

どこで知り合ったのか忘れましたけど、イギリス好きの女の子たちと文通していたのを思い出しました。

とにかくイギリスについて考えたり語ったりすることが好きで、心はいつもロンドンにありました。

そして高校2年のときに、念願かなって憧れのイギリスにホームステイすることができたんです!

ずっと憧れていたイギリス、ロンドン。

探偵のドラマに出てきたビッグベンをこの目で見たときは本当に感動したなぁ~♪

大学時代

大学1年 ますますロンドンに惚れる

さらにロンドンが好きになったわたしは、大学1年の冬にまた同じホストファミリーを尋ねました。

2週間くらいかな。

ホワイトクリスマスやレストランでニューイヤーを迎えることができて

とても新鮮な体験ができました。

寒い中毎日、ロンドン市内の美術館などに出かけていました。

ユーロスターでパリに

日帰りでパリにも出かけました。

ユーロスター内で隣に座ったイギリス人のおじさんはとても気さくで

英語学校の先生だということがわかりました。

スミス先生。

名前は忘れました。

スミス先生はニースにいる遠距離の恋人に会いに行くところだそうでした。

そしてフランス語が堪能らしく、旅で役立つフランス語を少し教えてくれたりしました。

お蔭でパリまであっという間に着いたのでした。

飛行機以外で外国に渡るという体験は初めてだったので不思議な感じがしました。

パリの人は優しくないと聞いていましたが、地下鉄でカップルに場所を尋ねたらすごく親切に教えてくれたのを覚えています。

カップルが地下鉄を降りるときわざわざ私のそばに来て「next next stop, ok?」と再度教えてくれました。美人なお姉さんでした。

エッフェル塔の行き方を尋ねた相手も親切に教えてくれましたよ。

あの時はものおじせず地元の人にガンガン聞きまくってました。

今じゃ到底できないな~・・・

第二外国語で習ったフランス語を使ってみたいという好奇心もあったのかもしれません。

大学2年

大学2年の冬にタイに一人旅しました。

当時はバックパッカーの旅が流行っていたんですね~

沢木耕太郎の「深夜特急」の世界に引きずり込まれ

大沢たかおがテレビで主演したときは各回夢中になって見ました。

タイではサムイ島、タオ島、ピピ島という3つの島を巡りました。

一人旅だったからか、逆によく話しかけてもらえてさみしくはなかったです。

途中知り合ったドイツ人グループに誘われて一緒にタオ島とピピ島を回りました。

大学3年

大学3年の夏に3回目のロンドンへ。

前回ユーロスター内で知り合った英語の先生が勤務しているという

公立のウェストミンスターカレッジに申し込んだんです。

最初の4週間はこの学校へ行き、同じクラスになった台湾人の女の子3人と仲良くなりました。

これが台湾に興味を持つきっかけになりました。

語学学校の後は、2週間各国の若者が集まって国立公園を修復するというキャンプにでかけました。

そこでは寝袋を持って、男女とも雑魚寝。

みんなふつーに英語をしゃべってるからすごいなーと思ってました。

日本人は私ともう一人女の子がいただけで、あとはヨーロッパからの同年代の男女でした。

大学3年

タイと台湾へ

大学3年の冬に再びタイ、そして台湾を訪れました。

バンコクの帰りに台湾に寄るチケットが安かったんだと思います。

タイではまたもやサムイ島に滞在。

前回とおなじバンガローに泊まって、宿の人と再会して嬉しかったです。

前回一緒に周ったドイツ人とも連絡を取り合っていて

メンバーは少し違ったけどまたもや合流して再会を喜びました。

朝バンコクを出発してその日の夜に台湾人の友達の家で眠っている、

という移動の感覚に面白さを感じていました。

春休みに再び台湾へ

この頃は1年に3回くらい台湾に行っていました。

すべて友人の家に泊まらせてもらっていたので

台湾の現地の生活を感じることができたのもよかったです。

大学4年

大学4年の卒業間際に香港にハマりました。

バイトをしていてお金もあったんでしょう。

香港に1週間行って、帰ってきてまたすぐ香港、滞在中に電車で中国の海南島へ行ったりもしました。

中国語を少し話せたので、言葉を使うのが楽しくてたまりませんでした。

香港での宿泊はチョンキン(重慶)マンションという、香港映画に出てきた雑居ビルに泊まりました。

そこで出会った日本人とはその後も長く続く友人となりました。

旅先の出会いっていいですよね。

日本にいたら会えない人に出会えるという点が。

社会人になって

中国をめぐる

社会人になってからはまず、会社の中国出張で北京、上海ともう一か所を巡りました。

もう一か所、というのは遠い記憶で忘れてしまいました。

仕事が終わり、夜に雑技団(北京だったか上海だったか記憶なし)を見に行って

そこにパンダが出てきたのですがあれは本物だったんでしょうか。

一緒に行った中国人の女性上司は「本物ですよ」と言っていましたが

私は未だに半信半疑です(笑)

NYCへ

20代半ばのときNYに行きました。

当時はチケットが往復5万円くらいの時代だったんです。

雑誌ELLE JAPONに、NYで日本人女性の個展があると書かれていて無性に行きたくなりました。

当時、個性を貫き通す彼女の生き方に憧れていたからです。

衝動を抑えきれず、旅行代理店の新宿支店に電話して即チケット購入。

次の日受け取りに行ってそのまま成田から出発しました。

NYニューアーク空港に着いたとき、

ガイドブックに載っていたホテルに電話しようとしましたが

公衆電話の使い方さえも分かりませんでした。

ラッキーなことに隣にちょうど現地の人らしい若い日本人ご夫婦がいて、電話の使いかたを尋ねました。

そしてホテルに電話したけどなぜか誰も出ませんでした・・・

するとちょっと焦った私に、優しい日本人のご夫婦が

「ダウンタウンまでなら一緒に乗せてあげる」と言ってくれたんです。

奥さんの妹さんが日本から来たのを迎えに来ていたようでした。

車内で話すうちにそのご夫婦の知り合いのB&Bがあるとのことで

そこに泊まることにしました。

ご家族のアパートメントでお茶までいただいて、嬉しかったなぁ。

アパートはかなり狭かった気がする。

生まれたての赤ちゃんがいました。

異国のそれもNYCで移民として子供を育てるってすごいことなんだろうなと思いました。

もうあの赤ちゃんも高校生くらいかもしれません。

若いご夫婦は連絡先をメモに書いてくれました。

苗字はなく、二人の名前だけが書かれていたような記憶があります。

でもメモもなく、定かではありません。

NY旅行は3泊5日くらいでした。

泊まったB&Bのオーナーは30代前半くらいの男性でした。

初日の夜は私しか宿泊客がいなかったこともあり、近所のアフリカ料理のレストランに連れて行ってくれました。

味は・・・特に美味しいというわけでもなかった記憶(笑)。

場所はタイムズスクエアの近くだった気がします。

朝起きると大きなガラス張りの窓から見えるNYの街並み…

「私はいまNYにいるんだ…」と不思議な感じがしました。

行きたかったジャパンセンターでの日本人女性の個展や、セントラルパーク、美術館、チャイナタウンに足を運びました。

チャイナタウンではの屋台でビーフンを買って路上に座って食べました。

雑貨屋さんで中国語でいくら?と聞くと

おばちゃんがちょっと驚いた顔をしたあと、フッと笑顔になり中国語で答えてくれました。

一人旅だったので、こういう何気ない会話やふれあいが楽しく感じられました。

ちなみにB&Bのオーナーは、ある日本人男性歌手のバンドにギタリストとしてオーディションを受けたけど落とされた。と話していたことを思い出しました。

当時この歌手はNYに住んでいたんですね。今はどうなんだろ??

これで私の20代までの旅は終了です。

読んでくださってありがとうございました!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次